午前1時に、ふと目が覚めてしまう。切り取られた様な日曜深夜にはあまりポジティブな物の考え方が出来ない気がする。こういう時はさっさと再び寝てしまうのが得策なのだが、上手く眠れない。当然一杯飲る訳だが、眠くなるほど呑むと明日に響く。 娘達はとうに寝たらしい。階下では母と妹が何やら楽しそうに話していて、妻は洗面所にいる様だが、どちらにも声は掛けずキッチンへ。足音で私が起き出したのは分かるだろうが、こちらも特に呼ばれたりもしない。 冷凍庫からズブロッカとも思ったが、やはり今の気分ではない。もうちょっと大人しい方が良い。かといってテーブルに出ている日本酒や赤ワインではどうもなという気がする。結局居間を一周して自分の書斎に戻り、枕元のウイスキーを手にする。 自分で自分の酒を注ぐのだから、好きな様にすればいいのだが、どうしてだかちびちびとしか注げない。馴染みの店で呑むときに注いで貰う「にまり」とするほどの量は不思議と自分では注げない。せこい呑み方だろうか、思い切りが悪いかな、等と考えてしまう。まずネガな考えになる。酒場の様に1杯いくらじゃないのだから適当に呑んで良いのだが、細かく呑んでいった方が切り良く呑めるのでそうしているのだと思い当たるまで時間が掛かる。 眠れないこんな時間には、読みかけの本でも読めば良いのだろうが、そう格好良くも過ごせない。大体、読んで眠くなる様な本は読まないし、それから、読んで楽しい気分になる様な本も読まないんだ。 枕元と言っても、ドラマに出て来る様な感じではない。ベッドサイドのテーブルにショットグラス、みたいな。そもそもベッドじゃなくて布団だし。周りにあるのはがらくたと酒。あまり素敵なお父さんでも、良い夫でもない、そんな感じである。“お人柄”だよなと独りごち、眠りに落ちる。 こういう時は、大抵あまり良い夢を見ない。 |
これも何度目かの再読。18本の短編は、しっくり来るものもあれば、ちょっと厭だなと感じるものもある。「長編のためのスケッチ風」というのには妙な既視感が邪魔である。あと実は私は佐々木マキの挿絵があまり好きではないのだった。でも総じて、80年代初頭の村上春樹だよねという感じで、しっくり来たり来なかったりする。ところでこの文庫には手製の栞が挟んであった。ロマンチックな貰い物ではなく、自分で作った物である。35mmモノクロフィルムの切れ端。大学生の時はどうした縁だか、初めは写真部にいたのだった。そんな事も思い出してみたり。 |
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