酒場では、男の方が女に声を掛けるものだといういい加減な理由
2019-11-17


 昨夜は神田のいつもの酒場へ付き合いの長い知人と。同業者と呑むことは滅多にないから、珍しく仕事の話ばかりしてしまった。愚痴っぽくなかったかな(愚痴しかない状況なんだけど)。別れ際にこの後歌舞伎町ですか? と茶化されるのを否定しつつ、だがしかし歌舞伎町へ。お酉さんの夜に歌舞伎町行くのは人も多いし危ないんだけどな。

 いつものMに入ると、初見の娘(多分三十前)に凄く積極的に話し掛けられた。「渋くて格好良いですね」とか(面と向かって言うのか)、「お仕事テレビとかそういう感じですか」とか(何ならキミの隣の人ラジオの局アナだよ)、「お酒強いんですね」とか(うんそれは)話し掛けられて、間が開いた時にカウンター奥の鏡見ると目が合うし。

 終電近いけど大丈夫なのと訊くと「家遠いからそうなったら朝までですね」とか(最寄り駅訊いたらうちと変わらんかったけどな)、「わたし格好はチャラいけど実は仕事は地味な仕事なんですよ」とか(可愛くてフルメイクでチャラかったw)、色々話した。後日店の人間に訊いたら、某国立研究開発機関の研究員なんだと。嘘だろその漫画設定。

 まあ普通ならこれは行けると思うところだが、若過ぎてトラップっぽいし(まあ奢るだけなら構わないんだけど)、金曜の夜は家に帰らないとならないし(泊まる気だったのかよ)、そもそもカウンターは知り合いばかりで皆にやにやしてるし、間に一人いたからひそひそ話もできんしさすがに諦めた。

 惜しいことしたなぁ。尤も逃した魚というより、釣るためのアクションすら取っていないからそんな事言う資格もないけどな。

 終電前におとなしく帰宅。最寄りでカップラーメンを買って帰る。起きていた娘と食べながらアニメ観て、寝る。何もかも消化不良の夜。

(一部'19.11.7のツイートを再編)

禺画像]禺画像]読書 三浦しをん「あの家に暮らす四人の女」中公文庫

 読み終えるのに随分と時間が掛かった。谷崎潤一郎没後50年を記念した一連の制作物の中の1本ということだが、不勉強にて自分にはニュアンスがちょっとよく分からなかった。

 本作の途中で発生する少し唐突な設定、例えばカラスの語り部とか、亡くなった父親が土産物の河童のミイラに宿るとか(ほんとに唐突だな)には若干面食らったが、概ね三浦作品として楽しめた。いや、多分だが。 ところで本筋と関係なく本作の中で心に刺さった一文を転記しておこう。


  (アラフィフの主人公達を指して)私たちはもう、恋愛市場では残り物の部類なのであり、残り物をつまもうとする男がたまに現れたとしても、それは、家庭はあるけれど都合よく恋愛ごっこも楽しみたい、しかし若い女を振り向かせられるほどの魅力や財力はない、という半端者ばかり。

 なるほど、家庭はともかくパートナーのない私にも、若い女を振り向かせられるほどの魅力や財力はないのかも知れないし、だからこそその上で残り物を摘まもうなどと外野から見られているのだったら何とも恥ずかしいことだなと思う。知るか馬鹿。


[LINK] (禺画像])

←HTMLのアーカイブ版はこちら。ブログのコメントは、いつでもいつのにでも大歓迎。また、BBS


続きを読む

[随筆 日記]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット